東京都立大学 理学部 化学科
学科長からのご挨拶

     とりあえず,いいサイエンスをしよう.東京都立大学理学部化学科はそれが可能な場所です.

学科長からのご挨拶

     私は生体高分子の立体構造解析を専門としている研究者ですが,私たちの世代のこの領域の研究者が,自らの専門を決める過程で共通に刺激を受けた研究の一つとして,「ユーリー・ミラーの実験(1953年)」というものがあります.簡単に言うと,原始地球の大気組成を模した環境に火花放電を与えただけで,私たちのからだを構成している基本的な有機分子,すなわちヌクレオチドやアミノ酸によく似た分子が合成された,というものです.この研究は地球上での生命誕生の過程について世界で初めて実験的に検証を試みたという点で,非常に「いいサイエンス」であったと私は思います.興味深いのは,(私が見た限り)この実験は大学院生だったミラーさんが自分で考案して実行したという点です.有機分子が原始地球大気中で合成され得るというアイデアはユーリーさん(重水素の発見の功績で1934年にノーベル化学賞を受賞)から来たもののようですが,実験結果はScience誌にミラーさん単名で報告されています[1](後にミラー・ユーリー連名でScience誌に報告があります[2]).つまり,「いいサイエンス」をするためには「発想」が極めて重要であり,学生や大学院生であっても「いいサイエンス」をすることができるという教訓がここにあると思います.とはいえ,この実験にユーリーさんのアイデアが必要だったように,また(おそらく)シカゴ大学の「雰囲気」がミラーさんを薫陶したように,環境要因も必須です.今回は有機化学を例に出しましたが,「化学」がかかわる幅広い学問領域について,東京都立大学理学部化学科および大学院理学研究科化学専攻にはその環境要因が間違いなく存在します.ぜひ皆さんもここに来て「いいサイエンス」をしていただければと思います. 

     それでは「いいサイエンス」とは何か?という問題が残りますが,残念ながらこれについては,解は無限にあります.「いいサイエンス」をするより「いいサイエンス」を知るスキルを身につける方が困難ということでしょうか?化学科・化学専攻に入ってこられた皆さんが,最終的に自分なりの「いいサイエンス」を見つけることができたら,わたしたち先輩研究者の教育がうまくいったということになるかと思います.

     つづいて,私たちの化学科・化学専攻の説明を簡単にしたいと思います.私たちは,理学的な視点に立脚した基礎化学の教育と研究を推進しています.学部1年次から3年次の教育では,無機化学,有機化学,物理化学,分析化学,生物化学などの基幹分野を学ぶための体系的な教育プログラムが整備されています.特に3年次では,化学の教育・研究において重要な位置を占める実験・演習に時間をかけて取り組みます.4年次では,これまで学んだ知識を活用して卒業研究を行います.個性豊かな11の研究室のテーマの中から,自分の「いいサイエンス」ができる研究内容をぜひ見つけて下さい.卒業研究で得た知識をさらに深く掘り下げたいという皆さんには,ぜひ大学院進学を考えてください.東京都立大学は海外留学制度も充実しており,各国の一流の研究環境に触れることも可能です.チャンスがあればぜひ積極的に活用していただきたいと思います.

    ここまで,「サイエンス」の話をしてきましたが,最後に少しだけ「大学教育」について話したいと思います.これまで皆さんは,次のページをめくれば一つの決まった答えが書いてあるような「問い」に,可能な限り正確かつ迅速にこたえるトレーニングをしてきた(させられてきた)と思います.まさか,「問い」とはそのようなものだと思い込んではいませんよね.「問い」には,答えは確かに一つかもしれないがそこに到達することが非常に難しくて時間がかかるものや,前述の「いいサイエンス」のように答えが無限にあるもの,新しい「問い」を見つけるための「問い」,などもあるはずです.大学とはそんな今までとは異なる「問い」にチャレンジする場所なので,専門分野に加えて「知識人」としての総合的な人間形成が求められると思います.化学科の人間としては化学の専門的な勉強はもちろんきちんとやって欲しいですが,大学で経験することができる様々な活動も積極的に楽しんでいただければと思います.

[1] Miller, S.L. "A Production of Amino Acids Under Possible Primitive Earth Conditions" Science 117, 528-529 (1953)
[2] Miller, S.L. & Urey, H.C. "Organic Compound Synthesis on the Primitive Earth: Several questions about the origin of life have been answered, but much remains to be studied" Science 130, 245-251 (1959)

令和4年度・化学科長/化学専攻長
教授 伊藤 隆